01
病気の概要
フィラリア症(フィラリアしょう、犬糸状虫症〈けんしじょうちゅうしょう〉、Heartworm Disease)は、**蚊が媒介する寄生虫「犬糸状虫(Dirofilaria immitis)」**が、心臓や肺の血管(肺動脈)に寄生する病気です。名前のとおり犬の病気として知られていますが、猫も蚊に刺されれば感染します。
猫は犬に比べてフィラリアに「かかりにくい」体質で、同じ地域の犬の感染率のおよそ5〜20%程度とされます。寄生してしまう虫の数も少なく、多くは1〜3匹、しばしば1匹だけです。ところが——この「数の少なさ」が、かえって油断できない理由になります。
そして最大の問題は、猫には安全に虫を駆除する治療薬がないことです。犬で使う成虫駆虫薬は猫には危険で使えません。かかってからできることは限られ、症状を抑えながら虫の寿命が尽きるのを待つしかありません。だからこそ、この病気は**「治す」より「かからせない」——毎月の予防がすべて**なのです。
1〜3匹
猫での典型的な寄生数。しばしば1匹だけでも命に関わる
約25%
診断された猫のうち「完全室内飼い」だった割合
0種
猫に安全に使える成虫駆虫薬。だから予防がすべて
02
何が起きているのか ― 犬とはまったく違う病気
同じ寄生虫でも、猫の体の中で起きることは犬とは大きく異なります。猫は犬糸状虫にとって「本来の宿主ではない(不適合な宿主)」ため、多くの虫は成虫になる前に死んでしまいます。この「虫が死ぬ」ことそのものが、猫では激しい炎症を引き起こすのが特徴です。
STEP 1
蚊に刺されて幼虫が入る
フィラリアに感染した猫や犬の血を吸った蚊が、次に猫を刺すとき、感染幼虫(L3)を皮膚から注入する。ここから猫の体内での旅が始まる。
STEP 2
幼虫が肺の血管へ移動する(約3〜4か月)
幼虫は体内で成長しながら移動し、感染からおよそ3〜4か月で、未熟な若い虫が肺の動脈(肺動脈)に到達する。
STEP 3
第1の炎症の波 ― 多くの虫がここで死ぬ(HARD)
猫の体は不適合な宿主のため、到達した未熟な虫の多くがここで死ぬ。その死骸に免疫が猛烈に反応し、肺の血管と肺そのものに激しい炎症が起こる。これが喘息そっくりの呼吸器症状=HARD(フィラリア関連呼吸器疾患)で、成虫が1匹もいなくても起こりうる。
STEP 4
第2の炎症の波 ― 成虫の死(突然死の危険)
生き残った虫が成虫になっても、その寿命は2〜4年と短い。1匹でも成虫が死ぬと、そのかけらが肺の血管に詰まり、急な呼吸困難・ショック・突然死を引き起こすことがある。猫のフィラリアが最も恐ろしいのは、この瞬間である。
03
症状・サイン
猫のフィラリアの症状は、軽い呼吸器の不調から、前触れのない突然死まで、非常に幅が広いのが特徴です。まったく無症状のまま経過することも少なくありません。
これらの多くは猫喘息とよく似ています。だからこそ、「喘息だと思っていたら、背景にフィラリアがあった」という見落としを避けるため、当院は呼吸器症状の猫でフィラリアも視野に入れて診ています。
04
診断・検査 ― 「これ1つで分かる」検査がない
猫のフィラリアは、獣医学のなかでも診断が難しい病気の代表格です。犬なら1滴の血液検査でほぼ確実に分かりますが、猫は寄生数が少ないために、その検査法が通用しにくいのです。そのため、複数の検査を組み合わせて総合的に判断します。
抗体検査(感染への反応をみる)
猫がフィラリアの幼虫にさらされると作られる「抗体」を調べます。感染から2〜3か月と比較的早期に陽性になり、未熟な虫の段階でも拾えるのが強みです。ただし「感染したことがある/さらされた」ことを示すもので、今も虫がいるとは限りません。
抗原検査(メスの成虫を探す)
犬では最も信頼される検査ですが、猫では虫が少ない・オスだけ・未成熟だと陰性に出やすく、見逃しが起こります。血清を加熱処理して感度を上げる工夫(免疫複合体の解離)も行われます。抗体検査と組み合わせて用います。
胸部レントゲン検査
肺動脈(とくに後ろ側の血管)の拡張や、肺の炎症パターンがみられることがあります。感染猫の一部で異常が出ますが、正常に見えることも多く、他の呼吸器疾患との見分けにも用います。
心臓エコー検査(超音波)
肺動脈や心臓の中にいる虫を、平行な2本の光る線として直接映し出せることがあります。犬より猫で有用とされますが、寄生数が少ないと写らないこともあります。無麻酔・低侵襲で行えます。
05
治療 ― 虫を「殺せない」からこそ、炎症を抑える
猫のフィラリア治療で、まず知っていただきたい厳しい事実があります。猫には、犬のような安全な成虫駆虫薬(メラルソミン)が使えません。
そのため、猫の治療は虫を殺すのではなく、炎症を抑えながら症状をやわらげ、虫の寿命(2〜4年)が尽きるのを安全に待つ——という対症療法・管理が中心になります。
ステロイド(炎症を抑える柱)
HARDによる肺の炎症・咳・速い呼吸を抑える中心的なお薬です。症状に応じて量を調整し、落ち着いたら徐々に減らしていきます。飲み薬や吸入で用います。
毎月の予防薬の継続
治療中も予防薬を続け、新たな感染(虫が増えること)を防ぎます。すでにいる虫を安全に減らす助けになるとも考えられています。
急変時の救急対応
成虫の死などで急な呼吸困難・ショックが起きたときは、酸素・ステロイド・点滴などの緊急処置で全身を支えます。この山を越えられるかが予後を左右します。
外科的な虫の摘出(限られた場合)
心臓や大きな血管に虫が見えているなどごく一部の重症例では、首の血管から器具を入れて虫を取り出すことを検討します。ただし途中で虫が切れると致命的な反応を招くため、慎重に適応を見極めます。
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予後
猫のフィラリアの予後は、穏やかな経過から突然死まで、はっきりと予測しにくいのが正直なところです。無症状で虫の寿命を越え、自然に回復していく子もいれば、成虫の死をきっかけに前触れなく命を落とす子もいます。MSD獣医マニュアルでは、感染した猫のうち生き延びるのは**およそ25〜50%**と見積もられています。
裏を返せば、これは予防でほぼ100%防げる病気でもあります。治療の選択肢が乏しく、経過が読めないからこそ、「かからせない」ことの価値が犬以上に大きい——それが猫のフィラリアの結論です。
07
予防 ― これがすべてです
猫のフィラリアは、毎月1回の予防薬で、ほぼ確実に防げます。治す薬がない病気だからこそ、予防こそが唯一にして最良の治療といえます。
毎月1回、忘れずに
予防薬(マクロサイクリックラクトン系)は、体に入った幼虫が肺に到達する前に定期的に駆除するお薬です。飲み薬・背中に垂らすスポットタイプがあり、ノミ・回虫などもあわせて予防できる製品もあります。その子に合った種類を一緒に選びます。
室内飼いの猫も対象です
蚊は網戸のすき間や玄関から室内に入ります。診断された猫の約25%は完全室内飼いでした。「外に出ないから大丈夫」は通用しません。同居に犬がいるご家庭では、より意識したい予防です。
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当院の考え方
「フィラリアは犬の病気」という思い込みは、猫にとって危険な死角になりえます。猫のフィラリアは、数は少なくても命に関わり、診断が難しく、そして治す薬がない——予防でしか守れない病気です。
当院は、この現実をあいまいにせず、正直にお伝えすることを大切にしています(Pure Honesty)。そのうえで、呼吸器の症状がある猫では喘息などと並べてフィラリアの可能性も考え、室内飼いの子にも予防の選択肢を一緒に検討します。「なぜ室内の猫にも予防が必要なのか」——その理由まで診察室でご説明し、納得して続けていただける予防を目指します。その子とご家族が、これからも幸せに過ごせることを目標に。
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さらに詳しく知りたい方へ(参考リンク)
より深く知りたい方のために、当院が診療の拠りどころとしている信頼できる情報源をご紹介します。外部サイトへ移動し、専門的な内容や英語のページを含みます。気になる点は、遠慮なく担当獣医師におたずねください。
- 猫のフィラリア症/American Heartworm Society(米国フィラリア学会・飼い主向け・英語) — 猫のフィラリアの特徴・予防の重要性を、専門学会がわかりやすく解説。
- 猫のフィラリア診療ガイドライン/American Heartworm Society(獣医師向け・英語) — 病態・診断・管理・予防を体系的にまとめた、最新の専門ガイドライン。
- イヌ・ネコ・フェレットのフィラリア症/MSD獣医マニュアル(獣医師向け・英語) — 猫の病態(HARD)・診断・治療の全体像を専門的に解説。
- 猫のフィラリア症/MSD獣医マニュアル(飼い主向け・英語) — 飼い主向けに要点を整理した、信頼できる解説ページ。
- 猫のフィラリア症ガイドライン/ABCD(欧州猫疾病諮問委員会・獣医師向け・英語) — 欧州の猫医学専門家によるガイドライン。

